7月13日、この日は旧暦で6月10日に当たる。この日に至ってようやく、織田方が合戦に関わっていたのではないかという史料が出てくる。
佐久間信盛が「今度就合戦之儀、早々御尋本望存候、義元御討死之上候間、諸勢討捕候事、際限無之候、可有御推量候」と伊勢内宮の御師に書き送っている。内宮は6月10日以前で既に問い合わせをしていたことが判る。
既に書状が飛び交っていた今川方と比べるとのんびりした印象があるが、直接戦闘に関係がないものだったせいかも知れない。実際、氏真が熊野に送った書状は更に後の日付となっている。